見取見

誤った考えを正しいと思い込むこと。間違った考え方を勝れた考え方であると、それに執着する考え方・とらえ方・見。五悪見の一つ。

 仏教学的には、

 ・有身見(いのちを「有我」と誤解し、所有しようと執着する心)、

 ・辺見(偏った考え方に執着する心)、

 ・邪見(仏法を否定する考えに執着する心)

 以上の三見を、勝れた正しいものとして考え、そのように考える自己に陶酔し、さらに執われ、事象の本質を正しく見れなくなる煩悩である。

 

 大阪本町に難波別院(南御堂)という大寺院がある。

 そこは500年以上の歴史を持つ大阪教区の中核であるため、本堂の荘厳(仏具の飾り方)や勤行の作法、法話教学など、古儀に則って厳格に護られて今日まで伝えられており、大阪教区のお寺のお手本という役割がある。拙僧は10年以上そこに奉職して2012年に退職した。退職後は自坊恩楽寺に専念し、時々別院の立華などでお手伝いしている。

  退職時には若手にそれらの指導をする位置にいたため、頭はとても固くなっていたと思う。

 

  2012年当時、恩楽寺での月参りの時、にこにこしながら私の力説(大谷派で定めてあるお内仏の荘厳について)を嬉しそうに聞いてくださった門徒のお爺さんがいた。

「若さんいっぱい御堂さんで修行してこられて、うれしいですぞ。そのお供え物は、生前の妻が「お父さん、これおいしいよ。いらないの?」とコロコロ笑いながら食べとったんです。私はそれほど美味しいとは思っていないのですが、見かけたらつい買ってしまう。お供えしたら、また笑ってる顔を思い出せると思って。お内仏の中にはこういうお菓子はお供えしたらアカンのですね、間違った弔いのやり方しててすんません」

 にこにこしながら、拙僧の慢心を受け止めてくださった。

 

 その御仁の笑顔が、とても痛くて、その日の夜は眠れず、翌日父母と相談して、親鸞聖人の御和讃が全部載っている青い勤行集手土産に謝りに行った。

 お爺さんは逆に恐縮されて、コーヒーを頂きながら当家のお内仏についてをいろいろ聞かせてくれた。

 

 戦後、空襲で焼け出され、モノがない中で、父親がごそごそやっているので、何を熱心にしているのか見ると、お内仏(仏壇)を手作りしていた。完成すると京都の東本願寺までご本尊の軸を一緒にもらいに連れて行ってくれたそうだ。

 やがて手製のお内仏から、漆本塗に買い替えた。その時の入仏法要を私の祖父が執行し、一緒に遅くまでドンチャンしたそうだ。恩楽寺はその時からのご縁。

「このお内仏をお迎えした時の親父は、本当に嬉しそうにしていたよ」

 と話してくれた。今時は、お内仏を買い替えてそこまで喜べる人はいるだろうか。

 

 御仁からのご指導があってそれ以降、私はお寺もお内仏も荘厳やお供え物に口を出さないこだわらないと慙じて決めた。

 お内仏は家それぞれの想いが荘厳されて朗らかに輝いている。お寺の荘厳や儀式も教学も、正しさに取り憑かれて何かを見失っている僧侶は実は多い。それらは正式ではなく純粋に古儀・助業であるだけなのであって、「ただ念仏もうすべし」だけが真実・正業なのだ。

 いかに自己が「正しさ」に取り憑かれているのかよく分かった時のことだった。こういう「正しさ」に執われる煩悩がこの身にはたらいている。私はそこにお供えされた見えない荘厳に報いたい。

 

 正しい教え、正しい儀式声明、正しいお飾りの仕方、頭がカチコチになっていた拙僧を、ほぐして下さったその御仁の葬儀は、私が執行した。2020年1月のことだった。

 もうお礼を言えなくなってしまったが、お浄土から私に教えておられると思うと、心強くて頭が下がる。命日を参る度に、感謝、慚愧、悲しみ、喜び、色々湧いてくる。このいのち念仏布教に使い切ろう。

※筆者について以外の各エピソードは個人を特定できないように、内容を変更しています。