物忘れし続ける煩悩。気づきを失った状態。仏の教えを忘れる煩悩。
誰にでも忘れることはよくある。どれほどコレは大切なことだ!と思っても、しっかり忘れる仕組みになっている。
「老眼鏡どこやったけ?」
など、可愛いものだが、失念とは、忘れてはならないことを忘れてしまう煩悩のことである。
筆者のこれまでのカウンセリング・傾聴経験から得た実感で申すが、自分の性格や生活習慣に関する都合の悪いことはなお一層忘れやすい。大事なことだ、「そうやったんか!」などと、気づきがあっても忘れてしまう。
拙僧は仏典マンガ制作委員会に携わっている。ネーム(荒い下書き)を作成してプロのマンガ家に仕立ててもらうのだ。新しい絵師を探す機会があり、予算のこともあり、できれば低予算でプロでなくてもいい、という判断で、拙僧は絵のうまい知り合いを推薦した。
その人物は、何をやってもうまくいかない人生だった。会社勤めしていたころ、遅刻は絶えず、いつも始業ギリギリ出勤で平気な顔。自発性は低く、ミスも多く、コミュニケーションは苦手。ただ、イラストや絵はうまかった。
面倒を見たり相手にしてくれる者は最初はいたが、指導の甲斐がないのでだんだんその人物はもてあまされるようになり、単純な仕事を監督されながらやる状態になり、やがてその人物は空気になっていった。
ときどき、社で使うイラストや似顔絵やキャラクターを任せられたが、それも上司が口うるさく期限を監督してくれないと描かない描けないといった具合だった。その時は良かったが、その上司が異動し、大きなミスを経て自主的に退職することになった。
家でボーッとしているくらいなら、さすがも時間もあるだろうし、やってもらえないか、とその者に聞いてみた。拙僧の依頼にご両親は大変喜んでくれた。
しかし、その人物は拙僧のネームを見て、「こんなんすぐできます」と言って引き受けたにもかかわらず、締め切りを過ぎても連絡のとれない時間が続き、委員会はその者にマンガを頼むことを見送ることにした。
ようやく会う機会があり、どうしていたのか聞くと、
「期限が迫り、やらなきゃやらなきゃと思い、焦ると、逃げたくなってスマホゲームに逃避してしまう。自分のこれからのこともそうで、焦る気持ちはあるが、手に付かず、ゲームに逃げる」
総合すると、辛かったそうだ。
「最初は楽な仕事だと思った。今も自分の技量的には、数日でできる簡単な内容だと思う。後でやろう、そのうちやろう、と先延ばしし続けた。期限が迫ってくると、マンガのことが、いつも焦りと共に頭の中にあって、追い詰められゲームに逃げる。親から『御院さんのマンガどうすんの! はやくしなさい!』とせかされても『うるさい!』と一蹴してはゲームに逃げていた」
ゲームに逃避していても、頭の中に焦燥感がずっとあるそうだ。その感覚はとても辛いものだったそうだ。
「今御院さんの顔を見て、逃げ出したかった。それで思い出した。かつての上司に『キミは監督しないと、誰かがスケジュールを立ててあげないと、お仕事効率よくできないようだから、そのへんは用意するから、言われた順序でしてください』と言われ、そうだったのか、と膝をたたき、自分の性質を理解できて嬉しかった。自分で予定立てたり、ひとりで規則正しい生活習慣を保つことが苦手なんだ、と理解したのに、そのことを忘れていた」
マンガという仕事を忘れたわけではなかった。自分の特性のことを失念していたようだ。
こういった方は、的確なサポートがあれば、存分に能力を発揮していただける。拙僧のサポート意識も悪かった。小さな親切のつもりで、傷つけてしまった。
自分にとって都合の悪い内面的なことは、見えにくく忘れやすい。
見捨てずに呼びかけ続け待ち続けている仏さまの慈悲が、この身に働いている。そのことを、日々の忙しさの中で忘れてやいまいか。
※筆者について以外の各エピソードは個人を特定できないように、内容を変更しています。