物、事象に固執して、とらわれる煩悩。
損失や危険性を理解していても止められない煩悩。
包丁は料理に欠かせない便利な道具ではあるが、間違った使い方をすると殺傷する道具にもなる。
車・電車など交通機関は少しの油断が事故に繋がり取り返しの付かない惨事・悲しみを招く。
言うまでもなく、スマートフォンやパソコンなど情報端末はとても便利だが、レコメンドされた情報に囲まれて知識に偏りを生む。
国民が生活するためには国・政府機関などはなくてはならないが、圧政に転じたり、都合によっては戦争が起こる。
大切で愛しい人が憎くなる。
頼りにしている肉体はやがて病巣になる。
私たち周辺の一切の事象がこの可能性を内包しており、利便性と有害性の狭間で生活している。
それにも関わらず止めることはもうできない。
だからこそ使い方やルールそして倫理は大切だ。しかし、資源は有限であるにも関わらず、人類の欲望は無限大で常に新しいモノが開発されていく。都合の良い便利なモノが生まれたらその分苦悩する可能性が増えるのだ。
そんな娑婆の中だからこそ仏教がある。
多くの先達が視線を外から内へ帰し、そこで無限の可能性を見出してきた。
欲望は物で満たされず、心の世界で達成する。
心の資源は無尽蔵。
開発されてくる世界は、モノに頼ることではなく、智慧と慈悲で満たされたいのちへの目覚めだ。
その究極の安心こそが人が本当にほしいものだ。
※筆者について以外の各エピソードは個人を特定できないように、内容を変更しています。