願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国


 個人化が進み、地縁、血縁、仕事緑、信仰縁などが薄れてきた。葬式に集まる人数が少なくなり、仏事を軽んじる人が増えた。都市部では宗教儀礼の簡略化が進み、人口減少が著しい地域では寺の維持も困難である。

 世代を超え安定した人間関係が、地域性や宗教・伝統などの継承につながる。そういった中に他者をケアし合う関係が自然に形成されていた。

 ケアし合う関係とは、典型的には親と子、きょうだい、夫婦、親族ということになるが、血縁関係を「ケアし合う関係」として期待する度合いすら減っている。地域や職場のつながりも変わりやすく、先輩後輩関係、仲間関係も安定せず、移ろいやすいものになった。この時代の流れは長期的に続いてきたが、コロナ禍で一段と加速した。おのずから人が孤独を感じやすくなり、脆く傷つきやすくなった。しかし、人間は孤立しては生きていけないようになっている。

 傷つきやすく、孤思に苦しむ人間に支えるところに宗教の大きな働きがあった。人の弱さをしっかりと認識するよう勧め、弱い存在である人間が堅固な教えと儀礼に支えられ生きていくよう促すのが宗教儀礼の本来の役割だった。

 現代は宗教による絆が維持しにくい時代だ。人々が同じ儀礼や教義を共有し、集団としての結束を保っていくことが難しくなってしまった。

 これが我々人間が望んだ世界なのか。否である。

 1985年8月12日の日航ジャンボ機事故の遺族らが集う御巣鷹の尾根や阪神・淡路大震災の犠牲者と慰霊する行事は今も多くの人の関心を集める。がん患者や家族が集まり、がんに傷ついた人々を支え、がんで世を去った人々を偲ぶリレー・フォー・ライフの集いは日本では2006年に始まったが、今や全国での開催するまでに発展した。悲惨に遭遇してこそ、支え合うことの大切さを思い出すのだ。

 僧である私は、死別の現場に臨んで、痛みを共有しケアし合う関係が、人間を生かすという現象に何度も遭遇してきた。言葉を失うような悲しみの場で、「悲しいまま、苦しいままでいい、そのまま救う」という仏の慈悲を感じるのである。その事を有縁の同朋に伝えるのが拙僧の使命である。そして恩楽寺には、法要を勤めて、バラバラになっていく縁を結び仏縁の場を護持する使命がある。

 願わくば、この功徳を、平等に全ての人々に施して、共に仏の願いを生きて、安楽国に往生せんと。

 

2025/03/29 文:釋大信 

※筆者について以外の各エピソードは個人を特定できないように、内容を変更しています。


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