(青少年向け ラノベ風)
社会とか世間とかこの世はとっくに地獄のただ中だ。
地獄のことを娑婆(シャバ)という。
娑婆というやつは狡猾で、みんなに気づかれないように巧妙に地獄を隠して洗脳している。
──さあ、娑婆というのはどんなところか。
それは「キミ」という命の価値が値踏みされる世界を娑婆(sahā, サハー)という。
値踏みされていることを耐え忍ぶと書いて娑婆という。
キミは値踏みされている被害者だ。
み-んな価値を値踏みされている。
だから苦しいんだ。
年齢、成績、偏差値、学歴、職種、収入はどれくらい?
上中下で言えばどれくらい?
従順か? やる気ある方? ガッツある方? 結果は出してる?
デキる方なのデキないの?
空気読める? 失言してない? 異性関係はモテてる? 子育てイケてる? 親介護?
性格イイ方? 悪い方?
病気になったらダメみたい?
年とって、体力・スキル落ちてきたらダメみたい?
勝ち組なのか負け組か。
とどのつまり、あなたは役に立つの? 立たないの?
キミは今負け組か?
どうやらオレは負け組か。
負け組にいるこの状況は自己責任なのか?
全部オラが悪いの? 自己責任?
クソくらえってんだバカヤロウ。
そんなもんでオレらを量ってくれるなバカヤロウ。
優生側にいれば問題なし、運をつかんで努力できた結果でご満悦。
でも勝ち得た財産知識は必ずそのうち失うぞ。
だって必ず衰えるから。
脳も肉体も技術も技能も財産もなんもかんもが必ず衰える、諸行無常・盛者必衰。
劣勢側にいれば問題あり、自助努力が足らんと評価されて自己責任だって言われて苦悩する。
でもな、ごっつい苦悩をしてようやく気づくんだ。
娑婆のルールに気づいたか?。
「全ての命が値踏みという構造的暴力の中にいる弱者」だ。
いかなる強者もこのルールの前では弱者なんだ。
だって必ず衰えるから。
──だからキミはダメじゃない。
暴力の被害者だ。
全ての命が犠牲者だ。
どうしてオレたちゃ値踏みされるのか。
命平等って幼児でも知ってるのに、どうしてキミは値踏みされるのか。
気づいたか?
そんなオレもキミも値踏みしてる。
目に映る一切事象を値踏みしてる。
己こそが値踏みの元凶だったと気づいたか?
他人や事象を自分が値踏みしているつもりだが、実は自分の価値ですら値踏みしているんだ。
大体の人は自分のことを「中の上くらいかな」とか「上の方」って根拠なく自信を持っているだろ?
それはいのちの値踏みという地獄のなかで、無自覚に快楽に溺れている姿だ。
でもキミはたまたま気づいてしまった。
自分の自信と価値には根拠がないという事実を。
だから苦しい。
だって自分で自分を許せないでいるんだもん。
自分は役に立つか立たないか。
値踏みされて値踏みしてる。
やりたくないのにするしかない
──だからキミはダメじゃない。
これしか生き方が分からないだけなんだ。
それを「煩悩」っていうんだ、覚えとけ。
娑婆に洗脳されて煩悩を正しいって思い込まされていたんだよ。
ちょっとは気が楽になったか?
でもまぁ娑婆の問題は解決していないだろ?
だって煩悩しか生き方が分からないんだもん。
苦悩の連鎖のただ中に、ずっと無自覚でいる地獄。
獄中で光を探して間違い続ける業にいる。
なんでこんなに苦しまないといけないんだろうな。
なんで解ってても止められないんだろうな。
どうしたらこの苦悩から解放されるのか。
2500年前娑婆のルールに問い持ち、そして解脱したのがお釈迦さん。
お釈迦さんはな、後に生まれるオレらのために、娑婆を生きる法を残したんだ。
──それを「仏教」っていうんだ。
こんな話があるんだまあ聞けよ。
むかしむかしのあるところに、〈トン〉という怪物がいたんだと。※「犭貪」
はじめは蚊みたい小さくて、叩けばプチッとすぐ死んだ。
ところが〈トン〉は無限の食欲をもっていた。
自分の体積の倍ある葉を食べ尽くしても満たされない。
木を食べ尽くしても満たされない。
満たされないからもっと食べよう。
効率よく食べるために口や身体を大きくした。
森を食べ尽くし、山をかじりとり、湖を飲み干し、身体をどんどん膨張させながら、ひたすら食い荒らし貪る毎日だ。
それでも〈トン〉は満たされない。
垂れ流す糞尿は毒まみれ。
川と海を汚して生き物の住処を奪う。
吐き出す息は紫色。
次々と鳥が死んで落ちて、多くの生き物が病気になる。
話しかけてくれる友はいなくなり、みんな〈トン〉を悪魔と罵りながら死んでいく。
それでも〈トン〉は止まれない。
「みんな死んでしまう! 誰かオデを止めてくれ!」
やめたくても獰猛な食欲は止まらない。
やがて食べるものがなくなった。
それでも止まないえぐるような空腹感。
耐えきれず〈トン〉は太陽を食べることにした。
当然太陽なんて食べられない。
燃えさかる太陽に近づくと、その熱くて痛くて苦しいこと。
苦しくても食欲は止まらない。
やがて〈トン〉はゆっくり炎にあぶられながら焼け死んだ。
自分に絶望しながら焼け死んだ。
そしたら〈トン〉はまた目覚め、また同じ生涯を繰り返す。
孤独に無限に暴食地獄を繰り返す。
何度も何度も繰り返す。
「もうイヤだ、誰かオデを止めてくれ!
独人はイヤだ、食べたくない!
食べたくないのに やめられない!
たすけてくれ! 誰かオデを止めてくれ!」
深い絶望の底から救いを求めて叫んだら、八つの光が差し込んだ。
八人の仙人が現れた。
八仙は〈トン〉に釈迦の八正道を説いたとさ。
──「正」というは「一」を以て「止」なり。
一旦停止の習慣だ。
八つの「止」の道を学んだ〈トン〉は、一瞬にして覚りを得た。
「我は神速剛力、智慧無辺。
我が名は神獣〈麒麟〉なり。
一切生命をして仏法真理を平等に運ぶが我が使命なり。」
みんなが幸せになるために、自分のエネルギーを使うようになったとさ。
そして多くの命が法を聞いて真理に目覚め、地獄から解脱して遍く平等に幸せに暮らしたとさ。
人間1人1人に〈トン〉がいる。
オレにもキミにも〈トン〉がいる。
それが集まって大きな〈トン〉が生まれたんだ。
それを資本主義とか優生主義とかマーケットエコノミーとかいうんだろう。
人類が生み出した〈トン〉は、真の平等のために働く神獣になってるか?
貪るだけの怪物のままなのか?
その答えは言うまでもないな。
──人というのは、自分の〈トン〉に無自覚だと、自己の立場と都合を優先するようになっている。
多くの人がそのことに無自覚で、自分は正義側だと思っている。
そんな欲望煩悩のカタマリである人間の知恵で、この怪物を乗りこなすことは可能なのか?
暴食怪獣を麒麟にするためには、「煩悩を問題にする習慣」すなわち仏の智慧が必要なのが分かったか?
別に仏教じゃなくたっていい。
自分の欲望を問題にする教えであれば、それでいい。
人は怪物の傀儡のままで本当に幸せになれるのか?
なれないね。
貪るだけで幸せになんてなれるはずがない。
だから仏の智慧が必要なんだ。
多くの人が自分の〈トン〉と大きな〈トン〉に薄々気づきながらも問題にしない。
だって「止」の時間がないんだもん。
みんな忙しく〈トン〉の歯車やってるんだ。
心を亡くすと書いて「忙」だ。
忙しく急かされて本当の願いを忘れるように洗脳されてんだよオレたちは。
心を亡くすと書いて「忘」だ。
気づいたか?
ハムスターみたいに滑車を泣きながら走らされていることを。
思い出したか?
滑車を泣きながら走ることが生きる本当の目的ではなかったことを。
──だからキミはダメじゃない。
人間はすぐに欲望にかられて暴走し、本当にしたいことを忘れて立場と都合で忙しくなってしまう。
だから人生には「止」の時間が必要で、祖先はそれを「宗教」という習慣化して受け継いできたんだ。
多くの宗教が「止」の時間を宗教習慣に取り入れて、人々を導いてきた。
ご飯食べるときに合掌していのちと料理人たちに感謝して「いただきます」だ。
毎朝毎晩仏壇の前に座って合掌だ。
そうすることで、「自分は正しい」っていう思い上がりを治めてきたんだ。
貪ることが正しいって思い込んでたてなぁって帰ってくるんだよ。
法事を勤めてお経を読んで、仏法説教を聞いて止まる。
葬式で通夜説教聞いて、「死」についてちゃんと考えて、人生の本当の目的を思い出す。
そういう宗教習慣は、経済的じゃないからとか色んな理由で多くの人が省略してる。
だから人々は益々苦悩の連鎖の中にいるのさ。
外からも内からも〈トン〉に犯されながら無自覚でいる。
そして人は「効率よく貪る」ことが正しいと考えて生きている。
早く、効率よく、合理的に、最小の投資で最大の利を求め、損をキライ、得を希求して生きている。
しかし、その効率の度が過ぎると破滅するようになってるな?
資源は有限なんだから。
人類は何度もそれを経験してきたはずだ。
それにもかかわらず、目の前に待っているのは破滅だったとしても、「それでも自分のやり方は正しい!」と言って暴走している。
「オレは正しい」ってほざいてるヤツ同士がぶつかったらどうなる?
ケンカになるだろ?
みんな自分の考え方が正しいって勘違いしているんだから、意見が合わないのは当たり前なんだ。
「オレは正しい」ってほざいてる国同士がぶつかったら戦争になるわな。
だから「正しい」って字は「一と止」でできている。
「止まる」時間がとことん人生で大事だと気づいたか?
それがなかったから、追い詰められるくらいに苦しい思いをしたんだよ。
強引な屁理屈で、自己を正当化してエラソウに無自覚でいるヤツがエライのか?
苦悩してようやく、一切合切に「正しさ」なんてなかったことに気づいたか?
──「諸法無我」っていうんだ。覚えとけ。
お釈迦さんが最初に説いた法だ。
「あらゆる法則・物質には本質がなく〝空〟である」
──だからキミはダメじゃない。
むしろ真理に近づいた勝者だ。
「仏法には、無我にて候ううえは、人に負けて信をとるべきなり」蓮如上人
真宗大谷派 恩楽寺
乙部大信
メンタル心理カウンセラー
シニアヒカウンセラー
お寺葬アドバイザー