人間は高度な知性をもっているが故に、事実を誤認しやすい精神作用をもっている。事実誤認は苦悩の原因になったり、個人の客観的評価に現れる。社会心理学ではその作用を認知バイアスといって体系化してきた。要は意図せずして無意識のところから湧き起こって勝手にはたらく色眼鏡的な認識作用である。
こういうものが思考や心、性格に影響していると心理学として分かってきたのはわりと近代のことなのだが、実は2000年ほど前には仏教では煩悩や唯識などといってすでに完成していた。
その発見年代の違いは、探求の姿勢にあると私は考えている。
仏教では修行の軸が禅定にあるように「自己を掘り下げて見つめていく」ことに対して、心理学では「統計化して傾向を見いだす」ことに軸がある。探求の視点が、内向きと外向きとで少し違っている。
私は心理カウンセラーである以前に僧侶なので、以下に真宗教学的な視点で、認知バイアスを紹介していきたい。
ダニング=クルーガー効果
能力が低い者ほど自己評価は高く、能力が高い者ほど謙虚であるという心理傾向。
能力のない人ほど自分は能力があると思い込みやすく、能力の高い人は、周囲も自分と同程度だと感じやすく謙虚な姿勢になる心理作用。
私はこれを「根拠のない自信」と言ってきた。低評価されて悩んで苦しんでいる人から相談を受けると、掘り下げると見えてくるのが、悩みの原因が「この説明できない自信の喪失」であることが多かった。特に若い人、新社会人だったり転職した人だったり。
「浄土宗の人は愚者になりて往生す」
という法然上人の言葉がある。他にも、
「総別、人にはおとるまじき、と思う心あり。此の心にて、世間には、物もしならうなり。仏法には、無我にて候ううえは、人にまけて信をとるべきなり」
という蓮如上人の言葉もある。
自分を正しく見つめることは難しい。外的要因がないと気づかされない。躓きであったり失敗、失態であったり。その時に、逃げずに自己と向き合えば、許容される世界が開かれてくる。
このバイアスと煩悩についての法話は→コチラ
このバイアスと似たような煩悩……慢心の煩悩、七慢、自慢、過慢など