無意味で無益な言葉。うわべを飾った不誠実な言葉。
各ご家庭の法事を執行する時に、若い女性の参詣があると、そういう時の拙僧は多弁饒舌に法話をするものである。そして最後に、「いやはや、今日は綺麗な人が多いから緊張しました」などとすぐおべっか言ったりする。お恥ずかしい。
ある時、綺麗な姉妹に「お二人とも、お仕事はモデルさんをされているのですか?」などととぼけて言うと、「お二人じゃなくて、お三人では?」とその母親に鋭いツッコミをされた。一本取られてもっとお恥ずかしい。
おべっか、お世辞はほどほどにしないといけない。
綺語という煩悩について語ろうとすると、すぐにお世辞のことかと落ち着いてしまうが、実際はもっと深い。
人はみな、実は主にうわべのところで会話・生活しており、自己の本心に気づいていない者は多い。
ところで、お寺との付き合い方は、人それぞれである。
毎月熱心にお寺の法要、法座に足を運び、仏の教えを聞法される方。
毎月故人の命日に、僧侶を家へ招いて、月忌法事を勤める方。
一年に1回、あるいは数年に一度、法事などでお寺と関わりを持つ方。
お寺から案内など郵送物が届いても、特に関わりを持たない方。
ある時、お寺の年会費を納めに来られた方がいた。この女性は「数年に一度、法事などでお寺と関わりを持つ」タイプの方だった。
お茶をいただきながら近況を聞いたりして、そして最後にこのように柔らかく聞法を勧めることにしている。
「恩楽寺から、毎月法要の案内や、講座の案内、滞りなく届いておりますか?」
「はい、届いていますよ」
「良かった、毎月発送するのも、法話の内容考えるのも、結構大変なんですよ、おかげさまで勉強になっております。どうです? いちどくらい、聞きに参られてみては?」
「ああ~^^; なかなかねぇ……」
「ですよね~~^^; まあまあ、また何かの機会に……」
などと、お寺へのお参りを遠回しの遠慮気味に勧めていると、
「そうやで! お父ちゃん、いっつもお話に『来てくれへんかなぁ、来て欲しいなぁ』って、来るの待ってるねんで!」
と、5歳の娘がストレートに遠慮なくいいだしたので、少し恥ずかしかった。
定例法話は法要ではなく、お説教メインなので参詣が少ない。恩楽寺では約20年開いておらず、私が戻ってから再開したので、まだまだ定着していない。毎回毎回、幼い娘を膝に乗せながら「今日は来てくれるかなぁ、来て欲しいなぁ」とくり返しボヤきながら参詣される方を待っているので、彼女は私の本音を、真剣に受け取ってくれていたようだ。
娘のストレートが効いたようで、その女性は法要に参詣されるようになった。娘はお茶や勤行本配って丁重なおもてなしをするので、
「ホラ、おばちゃん、ちゃんときたで」
「ありがとう~^^」
の朗らかなやりとりをしている。「待たれていると思うと、行くしかないです^^;」だそうだ。
純粋で真剣な思いは伝わる。
拙僧は、「あまり強く勧誘したら、よくないよなぁ」とか「正直にお誘いしたら、逆に距離ができるんじゃないかなぁ」などなど、打算的なうわべの思いがあって、強く聞法を勧めずに遠回しな言い方をしたりしていた。うわべだけの思考、うわべでの表現・発言だ。本音ではなかった。
最後に一句紹介したい。
「夢の世に あだに儚き身を知れと 教えてかえる子は 知識なり」
これは平安時代の歌人和泉式部のうたである。「知識」というのは、善知識と言って、「我が身を仏法へいざなう先生・出来事」のことである。歌から読める通り、和泉式部は、子どもを授かるも幼くして死んでしまったのだろう。その悲嘆から仏法を聞くようになって、きっと重ねて聞法したのだろう。そして、浄土こそが真実報土であり、今の現実世界は識から表象される幻の世界であったことに納得した人だからこそ、読める歌だと思う。
無量のいのちから生まれ来て、無量のいのちへかえる幼きいのちのありのままの尊い姿は、「帰命無量寿如来」がそのまま体現されていた。
子を失って悲しまない親はない。和泉式部は亡くした子を念うからこそ無量のいのちの教えを感じ得たのだ。
現代でも、幻のごとくの一生涯であるにもかかわらず、本当に大切なこと、この人生このいのちの本当の目的を自覚せずに求めもせずに生きている人は多い。
この身が置かれる現生では、うわべだけの会話、うわべだけの認識でぐるぐる回っている。現生にいる以上、その回転の中に曝されつづけないといけない。迷いを廻っている自己を見つめる時間や、離れる時間がある人生の方が、根本的に豊かであること覚った祖先が、現代の私たちに仏法を繋いでくれている。
※筆者について以外の各エピソードは個人を特定できないように、内容を変更しています。