仏法には、無我にて候ううえは、人に負けて信をとるべきなり。
『蓮如上人御一代記聞書』
まず、お釈迦さまは私たち娑婆を生きる人間に、次のように教えておられます。
「おまえの命の本質は、そもそも分別できないものなんだ。
だから価値や結果にとらわれずに無分別の思考ができるはず。
おまえの命の目的は、そもそも損得や優劣にこだわることではないんだぞ。
だから全ての人に優しくなれるはず。
おまえの命の奥底に、そもそもおまえを生かしめている本性がある。
すべての生命が無分別にして大慈悲である真実真理、仏性だ。
おまえの命の救済は、その仏へ帰る処にある。
苦悩から解脱を望むなら、法を聞いて心の海を探求せよ。必ず目覚める時が来る」
と、教えておられるのですが、そのお釈迦様の教えを実行することは、なかなか難しいことであります。
私たちの肉体は娑婆の中で生きていますので、損得優劣の中でがんばって生きるしか道がありません。
損得や優劣にとらわれて、こだわることを【煩悩】と言います。
煩悩とは人間が苦悩するはたらき(心理作用)です。
私たち全ての人間に、煩悩が備わりはたらいています。
ゆえにあなたは競争の中に身を置いて、そして他者に負けて、
──その敗北は転じて光になると、親鸞聖人は教えています。
むしろ他の人よりも光に一段近づいたと言えるでしょう。
あなたの敗北は、自分には煩悩があるんだ!と気づかせる大切な縁だったのです。
しかしながら、苦悩の業を生きるしかない私たちを、案じ続け、
「
と、
阿弥陀様は私たちが愛しくてならないのです。
そうやって、苦難の人生を徳の人生に転じて生き抜いた人々が守り伝えてきたものを、仏法と申します。
それがたまたま今あなたのところにやってきました。受け取ってみませんか?
作文:釈大信